勉強スペースを作ってみた
断捨離魔な私なので、昨年の初めに机を断捨離したわけなのですが、まあ家で勉強しなくなってしまった。
私にとって机は勉強スイッチを入れるものだったことに、失ってから気づきました…
とはいえ、毎日机を探すけど、なんかしっくりこない。そもそも家で組み立てるのもめんどくさい(また捨てたいと思ってしまうかもしれない、嗚呼)
そこで、今あるもので満足しようと思い、我が家のキッチンのカウンターの一角を利用してみた
あらいいじゃない!
幅が狭いので、iPadもしくはMacBookを置いたらパンパンになってしまうものの、いい!スマート!これなら私も捨てない!
次は高さの合った椅子を買おうと思います。お洒落な椅子募集中。これを機に、家でも勉強始めます(今さら)
とかいいつつ、まだ良い机探してます、連絡ください。
冬と我が身のパフォーマンス
寒い、かなり寒い、寒い!
私、かなりの低体温症でして、友人各位からも心配され、手で触ろうとしようもんなら全力で拒否されるほどのレベルです。いつからだろう...おそらく高校生の時からかな(中学時代はバスケ少女だったので、筋肉モリモリでした)。
そんな私ですので、いくつもの冷え性に効果的(そう)なものを試してはいます。白湯、生姜、薬味、ヒートテック、ランニング(サボってます)、筋トレ、寝る時靴下...しかし、そんなことをしても寒いです、冷え切っています。ヒートテックは超極暖を着ると、あ、あったかい、とはなるけど、手先は氷です。なんでだろう...
寒い時いつも私が言うのは「パフォーマンスが下がる〜」と言う、このセリフ。そう思いませんか?寒い時って、本当に行動力が夏場の半分以下になっちゃうんです、これが避けられないんだな、なかなか。
行動力を下げることで、体温の低下に打ち勝とうとしているのか、はたまたただサボりたいだけなのか。人間の体は複雑です。いまだに冷え性のときにセカセカ動けない自分がすごく嫌です。
今試しているのは漢方の当帰芍薬散。冷え性にどうやらいいらしく、夜寝る前に飲んでいます、今三日目。乞うご期待であります。冬、しんどいな〜冬生まれなのに。2019年は季節に関係なくパフォーマンス維持したいと思います。早く冬の厳しさが終わることを祈るのみ。
かといって夏が好きなわけではないんだけどね、焼けるし。
見えるところでわざと努力してみようと思う
自分の武器を作りたいと思い、となると、やはり英語を頑張りたいと思います。英語で高い点数取りたい!というより、英語というツールを使って、たくさんの人と話したい、しかもディープに話したいと思うんです。
前までは、こっそりTOEICの勉強する、みたいなところがわたしにはありまして(あいつなんで英語の勉強してるんだ?って思われたくなくて)。家で、もしくは図書館でひっそりしてました(たまにね)
でもよくよく考えたら、それはあまり効果的勉強じゃない気がしてきました。
むしろ、「私英語の勉強してるの!」ってなると、(あの人英語話せるんだ)(英語任せよ)みたいな流れになり、そして公言することで自分にも圧力をかけることができる。(私は多分ドMです、自分追い込むの大好きです)そしてリスニング勉強の邪魔をされない!
あれ、公言した方がいいんじゃないかと思い始めてきました。。
具体的には、IELTS(これは将来使うかもしれないから)、TOEIC(英単語の蓄積用)、オンライン英会話(実践、これにかなりのウェイトを置きたい)の三つでやっていきたいな。
周りに大きな声で言うことで、(しかも繰り返し)自分に圧力、圧力。この一年は英語を武器にしていきます。
私のスペックとしては、TOEIC 785
のみです。(チーン)
なので、IELTS 7.0、TOEIC 850-900 目標で。
でも裏の目的は、「英語話せる人カッコいいな」という安易なものでもあったりします。安直な人間です。
全てにおいて意味が必要な私の生活
私の悪い癖について。
というか、私自身は悪いくせだとは思っていませんが、たまに客観的に自分を見たときにめんどくさい癖だなと感じること。
何にでも意味を求めてしまうのです。
バイトに行くときも、「この8時間は私にとって意味あるのか?」
先生と世間話をするときも「この時間は意味あるのか?」
実家に帰ってグダグダして猫と戯れていても「この時間は私にプラスになっているのか?」
他人と会話していても「この人の話は私にとって意味があるのか?」
たまに、1日の終わりに「今日は意味ある1日をちゃんと過ごせたか?」
そんなことを考えながら生きてしまうのです。こいつがちょっと息苦しい。
過去の話ですが、お付き合いしていた人に結構いろんなところに連れ回され、その人の友人とダラダラする、みたいなことを夜中までする、というような事案が多発し、その人と付き合う意味すら感じらないようになり、別れたことまであります。
一人暮らしで以前はテレビを置いていたが、テレビを見る時間・空間・電気代に意味を感じることができずに片付けてしまった、そんな私です。
意味が私にとって一番大切なのかもしれない。
要するに無駄が嫌いなのかもしれない。そんなことを考えるうちは、まだまだ私は24歳のクセして自分が可愛い子どもなんだろうなと思います。(実際、そういう癖ある自分が好きでもあります。)
意味ある人生にしていきましょ、一回きりなんだし。
締め切りの締め切りを作る
さっそくサボろうとしていたブログ活。まだセーフ。
私、イチ大学院生の、大学院生による、修士号を取るまでのコツ。
それは締め切りに向けた我が締め切りを作ること。
私は締め切り一週間前に”自分の締め切り”Dayを設けます。この自分の締め切りに向けて、提出物を作成します。そしてこの自分の締め切りに間に合った後、3日間は提出物を見ません。4日目にしてやっと見直します。すると頭の回路が繋ぎ変わってることによって別の視点でいろんなことに気付けるのです。
私、卒論を提出締め切り一週間前に作成し、余裕で卒業(イエイ)
割とせっかちな性格なので、なんでも早く終わらせたいタイプなのです。あと、少し完璧主義なところもあったりする。それゆえこの習慣は私にぴったりかもしれない。
ここまではカッコいいことを言ってきましたが、私好きなこと・興味があること以外では、この方法が適応できません(チーン)。あと、よく図書館の本の返却期限過ぎて催促メール来ます(チーン)一気に10冊借りる私も悪いけどね。
そんなこんなで修士論文も提出一週間前までに終わらせる予定です。あと文量で言えば1/5くらいかな。2/20締め切りだけど、2/18から旅行に行くので(笑)目標は2/10に終わらせてケラケラ笑うこと。余った時間を有効に活用したいものだ。
たまにせっかちすぎて、みんなからうざがられます。愛を感じるけどね、ええ。
変だなと思う近年のコメントレンドと私の意見
コメントレンドは私の造語です。(コメント+トレンド)
というのも、色々なコメントを見て思うことが。
SNSでフォローしている著名人の方が「アンチには負けません!」的なことを書いていたのだけど、それに対して「負けないで!」とか、「応援してます!」「アンチ反対!」「アンチパトロール!」とか。
なんだか、世界が変わってきているように見えるのは私だけですか。
有名人=有名人じゃなくて、有名人=人なのに。
例えば私がSNSで、「◯◯始めました」なんて書いたところで、アンチどころか見てくれる人もコメントくれる人もそんなに多くはないと思う。正直、私(人)が何かを始めたところで何か世界が危険に晒される訳でもない。
なのに、有名な方がちょっと自分の意見をいうと、こぞってみんな文句をいう。同調する人と同じくらい反対する人がいる。この流れはある意味一般的になってしまっているけど、すごい変な話じゃない?
デール・カーネギーの「人を動かす」を、最近重い腰を上げ、やっと読み始めたのだけど、「他人を批判することの無益さ」の文章に心揺れた。確かに無益だ。いくら猫好きな人に猫の欠点(あるとすれば)を伝えても、猫好きは猫好きなのだ。他人の意識・意見など、簡単には変わらないのだ。(お、急にお堅くなった)
確かに、有名人と呼ばれる方々は、SNSなどで見られることも多く、影響力は半端じゃない。だからそれ相応に発言・ポストすることについて考えていかなければいけないんだと思う。だからって、「私毛皮のコートが好きで〜」とかに対して「動物愛護団体が・・・!」「ヴィーガニズムが・・・!」とか、本当お門違いじゃないかな。もういいじゃん、放っとけば。
なんか子どもでもわかるじゃん、意味ない否定や代替案なき批判はそれこそ意味ないって・・・
そんなこんなで、たまにSNSを辞めたくなります。辞めないけどね。辞めたらいよいよ隠居しそうだからね。
日本のホスピタリティと清潔さは尊い
最近は旅行のことばかり考えてしまう私です。旅行の何が好きって、非日常を感じることができるのはもちろんのこと、自分の中での当たり前を覆してもらえるところが本当に好きなんです。特に海外に行くと、改めて日本の良さに気づくから好きですね。
後輩が先日韓国に行ったらしく、その時の多数のエピソードを聞いては、改めて驚愕しております。例えば、交通マナー。韓国人は青信号で渡っている人がいるにもかかわらず車が突っ込んでくるらしいですね。もはや車優先。(歩行者優先とは)そして定員もぶっきらぼうらしい。これは何と無く予想がつく。
なんと、韓国ではGoogle Mapが使えないらしく、韓国旅行ではどうしようかなと模索中。後輩ちゃんは行く先々で人に聞きまくったそうです。あとは、どこもかしこも下水や吐瀉物の匂い。トイレに紙が流せない。(これは台湾も一緒でした)あまり綺麗ではないらしい。でもまあ、日本に住み慣れているから、逆にアジアのトイレ事情に慣れれば旅行も苦ではなくなるんだろうな。ちなみにイタリアは紙を流すことはできますが、個室の1/3は紙が詰まっていました。駅も1ユーロ払わないと使えませんでした。ああ、尊き世界に誇る日本のトイレ。
そして、感じること。イタリアに行った時もそうだし、半年前に台湾に行った時もそうだけど、やっぱり公共交通機関の係員の対応は、日本が群を抜いてトップだと思う。私がイタリアから成田に帰ってきた時、乗る予定だった羽田発福岡着の便が運行できない可能性があって、その時もJALの方がテキパキ対応してくださって、手数料もかからずに一つ前の便に変更してくれた。空港の荷物預けるときも、ほんの数分で手続きが終わり、福岡から成田でキャリーを預かることなく、マルペンサ空港で受け取ることができた。イタリアの駅ではわからないことを駅員に聞いても"Over there!"と言われるだけだったし…日本では、地図を見せてくれる人もいるし、なんか、泣きそうになるくらいみんな優しい。もちろん、台湾やイタリア、海外の人も優しいとは思うのですが、日本人のお世話の掛け方は異常なまでに丁寧である。
ホテルも、幸い私が宿泊したイタリアのホテルや台湾のホテルはかなり清潔で、過ごしやすいものでしたが、やはり日本の設備には劣ります。その点では、日本はもっといろんな物事を世界に誇っていいのでは?と思うのだが。
もっといろんなところに赴くことで、日本の良い部分を見つけて行くべきですね。もはや日本のホスピタリティは世界一では。本当に清潔感があってすみやすい国だと思う。だから観光客もたくさんくるし、逆に観光しに海外行くと、日本人というだけでよくしてもらえるんだろうね。
いい国に生まれ落ちたと思っています。この信念を大切にしていきたいものです。