掛け合わせの科学に気づいた時
世界に溢れる、どこか新しいもののように見えるもののほとんどは既存の事象を掛け合わせて作られたものである。
例えば、スマートフォンは電話とPC(インターネット)の掛け合わせであり、焼きそばパンは焼きそばとコッペパンの掛け合わせである。
その掛け合わせを発見して、世に送り出すまでが非常に長い道のりなのである。
毎日をだらだらと生きている人間が、何かを作り出すにはものを知らなさすぎるし、忙しい日常に酔いしれた人間は掛け合わせることを怠り始める。
今自分、何かを掛け合わせて作り出すことすら気づいていなかった恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
クリエイターとして何かを生み出さないとと躍起になっていましたが、これからは掛け合わせを科学できるような人間になるべく精進いたします。
膝を思い切りぶつけたらあざができただけで体の神秘を感じるほどの精神状態
今日、バイト中に思い切り膝をぶつけました。
コーヒー屋でバイトしていると、よく
「え〜おしゃれ!」
「良いな〜」
「カフェ定員とか憧れる!」
「うらやましいな〜」
ってめちゃくちゃに言われます。
確かに、スタバに行くと綺麗なお姉さんがレジ対応をしてくれるし、いつもニコニコしてるし、あれは憧れる。
私の働くコーヒー屋もまた大手のチェーンで、"スタバのような働き方"ができると思って面接を受けたのが昨日のようだ。
あれから1年半、現在のところ"スタバのような働き方"ではない。
全くそうではないといえば嘘になるし、もちろんニコニコ接客はしている。
とにかくお客さんが多い。綺麗に化粧をしたところで、崩れるほどには忙しい。
開店した途端にワンサカお客さんが流れ込んできた。戦いの火蓋が切って落とされた、そんな感じである。
レジで会計をしながらオーダーを通し、ラテを作りながらパスタを作る。暑い、暑いのだ。お客さんは寒いのかもしれないけど、キッチンは戦場なのだ。
そんな中、お客さんのパスタを運ぶときに扉に膝を思い切りぶつけた。
結構派手にぶつけて、思わずパスタがひっくり返りそうになったのをグッと堪えた。
私は膝よりも、パスタを選んだのだ。
誰か褒めてください。
そんなパスタに負けた私の膝をお風呂に入りながら眺めると、あざができていた。結構目立つのでしばらくはスカートが履けなさそうである。
触ると痛い、結構ひどいアザになりそうな予感がする。
でもパスタは無事にお客さんの胃袋に入ったので、それはそれで良いやと思う自分がいて、結局はスタバのようなホスピタリティを私は持っていた。
ということで、今日はパスタに負けた膝をしっかり抱えて寝ることにします、良い夢みましょうね。
言葉を持たない細菌と、言葉を使える人間
微生物はお互いの密度を高め合うことで必要な遺伝子の発現量をあげている。
このクオラムセンシングというメカニズムを初めて知ったのは確か大学四年の夏で、当時右も左もわからない、ただ新たに得る微生物学の知識に興奮しか感じない私にとって研究生活を延長させるには十分すぎる材料だった気がします。(あれから五年目の今)
クオラムセンシングが発見されたきっかけは、海の中で光を発する細菌の存在です。彼らは細胞密度を高めることで、発光反応を触媒する酵素遺伝子の発現量を高めて光り輝きます。
細菌たちの会話は密度で行われる、神秘的ね、この出来事をTEDで聞いた時、改めて、明らかにドキドキしたのを今でも覚えています。
今はコロナでアナログに会うことができないゆえにコミュニケーションが減少していると思いきや、細菌と違って我々はデジタルに密度を高めるらしい。特にここ最近はその密度が度を超えている気がします。
微生物のように、生きるために必要な遺伝子の発現を増やしているわけでもなく、欲を満たすために必要な発言を増やしているこちら人間は、柔軟性があまりないんだろうなあと俯瞰して見ています。
自分が手塩にかけて培養している菌を眺めると、ふとこんなエモいことを考えてしまいますが、あくまでもクオラムセンシングは言葉を持たない細菌間コミュニケーションツール。言葉を与えられた人間が壊れゆくようでは、細菌以下ですね。
朝はまだ寒いなぁ。
まぁ、気をつけましょう!
外国人が日本を好きになる気持ちが分かる
先日、大阪・京都へ行ってまいりました。
京都では、とある神社へお参りに。大阪はUSJでしばし若返ってきました。
飛行機に乗ってから、神社、USJ、そして帰りの飛行機の中で感じたことは、日本人の"必死さ"。
私がすむ熊本よりもはるかに多くの外国人がいて、もちろん日本語を流暢に喋るような方もいましたが、ほとんどが "Excuse me?"
それに対して、日本人は「エイゴ ワカラナイ」ではなくて、丁寧に、そして"必死"に返答します。もちろん、外国では英語が話せること自体当たり前なんだろうけど。
先日韓国へ行った時に、英語で道を聞いたら、結構な確率で通じませんでした(笑)特に高齢の方は難しいね。むしろ日本語の方が通じた。イタリアなんか、イタリア語か、イタリアと英語がミックスした感じで私も"必死”でした。
でも大切なのは、「あなたと話したい、だから下手くそでも英語で話すわ」っていう姿勢なんだと思う。最初から、日本語しかわからないと邪険にするのではなく、挑戦する姿勢。
五年くらい前に、USJには行ったのだけど、その時よりはるかに外国の方が多くて正直驚きました。裏を返せば、外国の方でも楽しめる場所だということ。
各国の国境がなくなればいいなって思います。そしてまた、旅行で多くのホスピタリティを感じたので、満足する関西旅行でした。
来月は東京(学会)と香港(旅行)に行きます、楽しみ!
練習は最大の武器となる
いよいよ明日、修士論文発表会なのです。昨日はツメて練習しておりました。今日もまた、ラボに来て練習する予定です。それだけ、私にとって練習がかなり重要であるということです。
以前読んだ本で、「世界を変える思考力を養う オックスフォードの教え方」
この本を読んだのですが、この本にも練習の重要性が述べられていました。
だいぶ端折りつつ私の考えをいうならば、「自分のために練習するのではなく、聴衆の、みんなのために練習をすべきである」ということ。
正直言って、今までいろんなプレゼンテーション等々聞いてきたけど、もちろん聞くに耐えられないものもありました。心動かされる発表もありました。
いろんなものがある中で、やはりサラサラ流れるように頭に入るプレゼンはいつまで経っても覚えているのです。それはやはり練習をしっかりするからこそできること。
この本を読んで以来、私自身、しっかり練習をして発表に挑むようにしてきました。それが例えば大きな学会であろうと、ゼミ内の報告会であろうと関係ありません。しっかり練習をするのみです。
そうすると、「あの人のプレゼンはいつもしっかりしていて、聴きやすい」との定評が生まれる。そうすると、次プレゼンする際も、そうしなければと良いプレッシャーを自分に与えることができる。
小さなことでも、そうやって自分のブランドを高めることが重要なんじゃないかなと思っています。功を奏し、修士一年の時は、高校生200人に対し、自分の学科がどういうところなのか、またみんなが入学したくなるようなプレゼンをしてくれ、と頼まれたこともあります(内心嬉しかったですし、しっかり練習して臨みました)。
きっとこれからもたくさん発表の機会があるだろうから、自分のプレゼンスキルをしっかり高めていこうと思います。
しかし、おしゃべりが好きでよかった。
コーヒーの旅は続くよ
無類のコーヒー好きなので、いろんなところでコーヒーを飲みます。もちろんコンビニのコーヒーだって、喜んで飲みます。ちなみに、ホットコーヒーはローソンが好きで、アイスコーヒーはセブンイレブンが好きです。ラテとなるとファミマがいいです。(あまりラテは飲みません)
スターバックスではソイラテをよく飲みます。(でも、最近某コーヒーショップで働いており、豆乳は調整豆乳を使っていることを悟りましたので、控えております、砂糖入ってるもん!)サンマルクカフェのアイスコーヒーはびっくりするほど酸っぱいので、飲めません。苦いコーヒーがひたすら好き。
おうちではドリップさせて、ぐびぐび飲みます。いろんな豆を買い試し、理想とするコーヒー豆を探すのですが、ナンバーワン!には出会えていません。
そんな私にとって、唯一、わ、美味しい...となったコーヒーがあるんです。
それは、まさかのイタリアのホテルの朝食ビュッフェ会場に置いてあった、コーヒーサーバー(あの、ボタン押せば出てくるやつ)から出てくるコーヒーの君。
お店でもなく、高価な豆でもなく、朝食ビュッフェの会場n...
忘れられない、まろやかで、酸味と苦味のバランスが私好みで。あの豆を探すべく、イタリアのスーパーで一番幅を取って陳列されていたブランドのコーヒーを買い漁り、日本へ帰国。
いざ飲むと、全く違う(チーン)。。。
なんで、なんで、なんで、、、イタリア語もわからない、なんで、なんだこのコーヒー豆、美味しくない!(八つ当たり)
私のイメージはこれだったのに...
優雅か。ああ戻りたい。
このコーヒーが飲めれば良いので、イタリアにいる妹に頼もうと思います。
仕事に対する選球眼
最近、よく仕事の相談を受けることがあります。(私自身は、まだ学生なんだけどね)
「どうしたらいいのかわからない」「転職すべきなのかな、甘えなのかな...」
そしてよくSNSで退職しました、転職しましたの報告を受けます。(常に寝耳に水状態)そんな時代になったのですね、21世紀。
"転職”。私そんなネガティブなイメージは持っていなくて、むしろ次の新たな挑戦をするための大切なステップだと思っています。
そりゃ新卒で、理想の職場に入ることがでいて、一生その職場で働く人ももちろんいるわけで、それはそれで素敵なことです。でも私の意見としては(と言うか、私の将来としては)、いろんな職場を経験して、もしそこが合わなければ(甘えなどではなく)、パッと転職する、理想を追い求める、と言うようなジョブハンティングをしたいと思っています。ちなみに、若いうちに人が多いところ(都会・海外)で働きたいと漠然に考えています。
ある友人と電話で相談をされた際、「一つの職場で働いて、合わないから1年や2年で転職するのがいいとは思わない時もある。だってその職場のこと100%知ることができたのか?」と言われました。うーん、確かに。短期間で見切りをつけて転職するのもいいけど、全てを知った上でその会社から別の会社に転職できたとは言い難い。そんなこと考えたこともなかっただけに、ハッとしてしまいました。
仕事は、自分はまだ学生の身なのでなんとも言えないですが、バリバリこなしたい。そのためにもいろんな応用力を今のうちに身につけねば、と感じた今日この頃です。こう言う価値観は、社会人の友人や知人、先輩と積極的にコミュニケーションすることで培うべきなんだろうなと思っています。
とは言えまだあと3年は学生です。大いに人生謳歌できるよう準備する次第です。